月刊エッセイ       10/19/2002


■  遊び人の町「我孫子」




 暑くもなく寒くもない季節になると、自転車で手賀沼のまわりを走ることが多くなります。で、今月は手賀沼のほとりにあるわが町のことを書こうと思ってるんですが、そう書くと、(なんだ、なんだ、お国自慢を始めるのかよ)と思われてしまうかもしれませんね。
 実際、下手なお国自慢ほど迷惑なものはありません。たいして美味くもない郷土料理を「さあ、たくさん食え」と勧められたり、海岸べりならどこにもありそうな風景を「天下の奇観」なんて自慢されたり、ほんと、実は私もその昔、南九州(その地域の人に殴られそうだから、詳しい場所は特に秘す)を旅行した時、「うまいぞう」と言われて、冷たい汁かけ御飯みたいなものを食わされ、目を白黒させたこともあったし、はい、賢い人は、お国自慢と子供自慢だけはしないんだそうです。でも、わが町「我孫子」の場合は、ちょっと違っていて、レポートするだけの特徴を持っていると思うんですね。

 18歳で実家を出てから、私、これまで13回引越しをしております。千葉県の船橋市から始まり、東京の豊島区、新宿区、練馬区、杉並区、目黒区、etc .と巡って、また千葉県に戻ったわけですが、あまりにも居場所を変えたため、住所不定作家扱いされ、この前も「作品を映像化したいので、連絡先を教えてください」というメッセージをホームページの掲示板に載せられてしまったくらいです(文芸家協会の名簿には、ちゃんと連絡先が載ってるんだよ)。そんな各地を転々としてきた私から見ても、この我孫子という町は変わっているんですね。

 引っ越してきたのは昨年の1月でした。市役所でパンフレットをもらい、まずビックリしました。表紙に「人と鳥が共存するまち」と大きな文字で書かれていたのです。そう、鳥。我孫子を象徴するのは、人間よりも鳥さんなんですよ。
 高度成長期からバブル期にかけて、多くの町では工場や会社を誘致して、町おこしをしようとしました。ところが、我孫子市は、こともあろうに山階鳥類研究所を誘致したんですね。結果、税収や働き口が増えるわけでもない鳥の研究所がやってきたんです。しかし、それだけではおさまらなかった。市では、研究所の隣に、日本でただ一つの「鳥の博物館」まで作ってしまったんです。そして、さらに去年は「第1回ジャパン・バードフェスティバル」なんて大会まで開いてしまい、全国から野鳥ファンが押し寄せました。鳥狂いの病、膏肓に入るといった具合ですな。
 もともと、手賀沼周辺はバードウォッチングの名所でした。沼には季節を問わずさまざまな水鳥が群れているし、岸にもオオヨシキリ、アオジなどが巣作りに励んでいます。上野から電車で30分と少しという近さなのに、野原を歩いていると足元から雄のキジがばたばたと飛び立ったりするんですよ。だから、市が鳥で町おこしをしようとする気持もわからないでもありません。

 ところで、わが家は沼を見下ろす林の中にあります。となると、当然、家のまわりは鳥だらけということになります。そこで困った問題が一つ発生しております。わが家には猫が一匹おるんですな。最近では歳のせいか衰えを多少見せておりますが、かつて別な町で暮らしていた若い頃には、キジバトを獲ったほどの剛の者であります。しかし、余所で許されていた行為も、ここでは許されるはずもありません。「お犬様」ならぬ「お鳥様」に手出しをしたら、どんな運命が待ち受けているでしょう。
「セナ(うちの猫の名前です)、お鳥様に危害をくわえたら、手打ちになるかもしれないよ。首と胴体が離れるんだよ」
 そう言い聞かせるのですが、畜生の身では理解できるわけもありません。幸い、メジロとかウグイスとか高そうな(?)鳥はまだ獲ってきていませんが、雀は時々持ってくる。その度に、私は周囲を窺いながら、庭に穴を掘って、お鳥様の死体を庭に埋めるのです。徳川綱吉の時代の江戸町民の気持がわかろうというものです。フーッ……。

 鳥狂いに加えて、我孫子市には、もう一つ有名なものがあります。それは、大正時代、志賀直哉、武者小路実篤などの作家や、民芸運動の柳宗悦、陶芸家のバーナード・リーチが当時、保養地だった手賀沼北岸に住み着いて、白樺派誕生の地となったことです。現在でも志賀直哉邸の跡地や武者小路実篤邸が残り、またさる大手企業の社長が大金を寄付して「白樺文学館」を作ったりして、歴史的には、こっちのほうが意義あることのようにも思えますが、現実には、鳥狂いのほうが優勢です。
 だいたい、私だって、徒歩5分ほどのところにある白樺文学館にまだ行っていないし……なんで行かないかと問われれば、うーん、白樺派にはあまり興味がないし……いや、そんな言い方、小説の大先輩に対して失礼だな。はい、行きます、ごめんなさい、すみません……エッセイ書いてて、謝って、どうする。
 ともあれ、「仲よきことは、なんたらかんたら」と書いてあるナスビやキュウリの画を飾っているような方は、ぜひ詣でたほうがよろしいかと思います。

 少しアカデミックにいきましょう。じつは我孫子の町は、鳥狂いをしたり、白樺派誕生の地であるばかりでなく、文化活動全般が異常ともいえるほど盛んなところなのです。文化会館みたいなものが複数あって、どこも陶芸、音楽、ダンスなどの活動で平日でも昼間から満員の盛況なのです。じつは私もアビスタという巨大文化複合施設の中で気功をやっておりまして、はい、楽しんでおります。その他、人口13万人弱の地方都市なのに、アマチュアとはいえ、フル・オーケストラがあって、けっこう良い音を出してるんです。プロによる落語会も毎月開かれているし、手賀沼を回るマラソンも行われていて、各種のイベントがめじろ押し。カメラ道楽も多くて、彼らが撮った写真を、市がお金を出してカレンダーに仕立て、市民に無料配布したり、そこまでやるかということまで行われているんです。
 なに、アカデミックじゃなくて、単なるお国自慢だと? いえ、違うんですよ、私が言いたいは、我孫子が「遊び絶対優勢の町」だってこと。
 ごく大雑把に言えば、人間の活動は労働、休息、勉強、遊びの4つに分けられると思うんですが、勤勉な人が多い日本では、労働の町(オフィス街、商工業地)や休息の町(ベッドタウン)が飛び抜けて多く、それからずっと離れて勉強の町(学園都市)が続き、遊び絶対優勢の町というのは、ほとんどないのではないでしょうか。いえ、もちろん、酒を飲んだり女性と遊んだりという夜遊びの町はありますけど、昼間から堂々と大人が遊んでいる町は、私が知る限り、他にはないんじゃないかな。
 どうです、文化人類学や社会学を研究する方。一度、我孫子市を調べてみませんかね。

 あーあ、アカデミズムなんて、おかしな方向に走ってしまった。じつは、今月号のエッセイの中で私が言いたかったことは、暇だったら手賀沼で遊んでみませんかという一種の提案なのです。
 じつは一回でお終いだと思っていたジャパン・バードフェスティバルが今年も開かれることになったんです。11月16日(土)と17日(日)の二日間で、詳細はよく知りませんが、去年と同じだったら、各種団体の出店、バードウォッチング・ラリー、バード・カービングや鳥凧作りなど、複数の会場で盛り沢山のイベントが行われるはずです。

 鳥好きの方ばかりでなく、家族連れやグループでのハイキングにも、手賀沼周辺は絶好の場所です。冬場を除く土日には手賀沼公園の桟橋から遊覧船も出ているし、レンタ・サイクルもあるし、手賀大橋のむこうにある親水公園の広い芝生でお弁当を広げれば、お金をかけず、充実した一日を過ごせるかと思います。
 ただし、一人で行ったり、あるいは、恋人同士で行ったりするのには、向いていないんじゃないかなあ。なにしろ、家族連れや小グループがほとんどですから、一人で沼のまわりを歩いていると、疎外感を味わうかもしれない。
 また、恋人同士や新婚さんというアツアツのカップルの場合、繁みなどがあれば、つい入りこんでしまうでしょう。しかし、沼の周辺には双眼鏡や望遠レンズ付きのカメラを持った連中がうろうろしていて、繁みで動くものがあれば、レンズを向けるのです。
「うむ、鳥かと思ったら、違ったぞ……でも、こっちも面白いぞ……」
 といった具合に、しっかりウォッチングされてしまうことになります。
 ですから、熱も何もなくなった夫婦とか、子供のいる家族とか、気の合った友人といっしょとかで、お弁当にワインかなにかを持っていくのがベストなんですよ。

 で、手賀沼であります。日本地図を持っている方は千葉県のページを開いてください。県の北西部にある平べったい沼がそれなんです。沼といっても、周囲が40キロほどもあり、湖みたいなもの(水深が4メートルない湖沼を沼と呼ぶんだそうですね)です。
 そして、我孫子駅までは、都内からならば、常磐線の下り快速電車で上野から30分とちょっと。地下鉄・千代田線の沿線にお住まいの方なら、東の終点が我孫子ですから、乗り換えなしで来ることができます。
 駅に着いたら、南口を出てください。駅の階段を下りると、鳥や白樺派に関わる名所が描かれた案内図がありますので、それに従って行動すればいいのです。もし、道がわからなくなったら、地元の人に訊いてください。我孫子には親切な人が多いので、きっと丁寧に教えてくれますよ。

 うーん、読み返してみると、結局はお国自慢になってしまったみたいな気もするなあ。子供自慢はしていないけど、猫自慢はしっかりやっている。私は賢い人間じゃないんだろうな。まあ、前からわかっていたけど……。



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